私なりのストレスとの付き合い方
2018.10.25 断酒862日
強いストレスを感じたとき
「何かで気持ちを落ち着かせたい衝動」が突き上げてくる。
「満たされない何か」を埋めたくて仕方がない、そんな衝動だ。
お酒を飲んでいた頃はお酒でその「満たされない何か」を埋めていたのだが、
今はそれに代わっておやつを食べながらテレビタイムが私のストレス解消法になっている。
思考を止めてテレビに没頭し、美味しいものを口に含むことで、「満たされない何か」はとりあえずは満たされて気持ちを切り替えられるようになる。
「ま、こんなこともあるよね。」とか、
「気にしても仕方ないな。」とか。
切り替えられないときもあるけれど、まずはとらわれている思考をいったん止めて
そこから離れる。
そして気持ちを落ち着かせて、ゆっくりと「満たされない何か」を客観的に見てみるようにする。
その時々によってその何かは異なっているけれど、
あぁ自分はこんなことを気にしていたんだな、
こう感じたけれど受け入れられず、傷ついたんだな、
とか、
自分の気持ちを癒したり、自分を知る時間をもつことで
満たされない何かは満たされていくようだ。
そういう時間を意識して持つようにすることが、
大きな爆発を防いでなるべく平穏な生活を維持できるように思う。
ストレスとは断酒のように死ぬまでお付き合いするものだと思う。
だからこそ、その時々に合わせて上手に付き合える方法を探していきたい。
ストレスが完全にない生活なんてないし、
感じることは普通のこと。
ポジティブな思考を持ち続けないといけないわけでもないし、
ネガティブな思考を持つことだってそれはそれでそんな自分もいるって受け入れればいい。
そうやって、自分って人間らしい人間やってるなって受け入れていけばいいんだと思う。
今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より
「はじめ、ひと酒を飲み、やがて、酒酒を飲み、ついには、酒人を飲む」
いつ誰が言い出したのかその出展は詳らかではないが
初則人呑酒 一盃人飲酒
次則酒呑酒とか又は 二盃酒飲酒
後則酒呑人 三盃酒飲人
という文をあちこちの書物に見かけます。
勿論、これは酒を飲んで酔いつぶれていく過程(急性アルコール中毒)を表現したものと考えられるが、連日の飲酒による失神が、やがて、時間、場所、自己認識をも失っていくアルコール依存症(慢性アルコール中毒)になっていく
長年月の過程をも描写しているようにも思われて、人間と酒とのかかわり合いの古さと深さに、改めて驚嘆せざるを得ません。
そして、この寸言こそ断酒を学ぶ上の基本であると識者も指摘しており、断酒の誓いの第一条に
私たちは、酒の魔力に捉われ、自分の力ではどうしても立ち直ることができなかったことを認めます。
と謳わしめた所以なのです。