おかげさまです。

断酒生活、おかげさまの気持ちを大事に生きています。

マンネリの日々の落とし穴

2016.10.9 断酒116日目。

3連休の中日。

前日はフルパワーで朝から、小児科、一週間分の食料買い出しと走り回っていたので、朝から体が動かず。

息子に何度も「お母さん起きてよー!」と毛布の上から叩かれ、乗られ、ジャンプされ、体中がボロボロ。

痛みのあまり起床。未だに足が痛いです。。

 

主人も仕事で朝からおらず、いつもの母と子の休日。

プラレールとトーマスを熱心に語る息子を相手にしながら家事。

体調がすっきりしないのもあってなんとなく気持ちも落ちていて、

すっきりしない午前中を過ごしているうちに、『あぁ、お酒飲みたいかも。』

なんて思ったり。

 

すぐに、飲みたい気持ちを払拭して、午後から近所の公園へ。

息子と一緒にお茶タイムを過ごして、遊具、そして大好きな探検ツアーへ。

先をどんどん歩いて行く息子を追いながら午前中飲みたくなった気持ちをぼんやり考えていた。

「イライラしてた?」…してなかったな。

「お腹すいてた?」…しっかり食べた。

「孤独だった?」…子供は居る。でも大人はいないから孤独…か、な?

「疲れてた?」…疲れてたぁ。

 

そっかー。疲れてたから?でもなんか違うなぁ。

なんだろなぁ。

この平和な、平和。

あー…。

 

良い事悪い事がやってきたとき、ぐっと構えて飲まない意識が高まる。

けれど、なにもない時がふとやってきて、

なんとなく物足りなさを感じたり、

同じようにきちんと毎日を過ごしていくことに退屈を覚えたりする。

そんな時、無意識に刺激を求めてお酒に手が伸びそうになることに気づいた。

 

怒り悲しみのストレス、孤独、空腹、疲労以外にもこんなところに再飲酒の罠があったなんて。

断酒生活の現状にちょっとだけ物足りなさを感じて、

それを埋めるのにお酒って考えは何とも悲しすぎます。

(でも、その物足りなさは、これまでの過去が起因しているので根本を見直さないといけません。) 

今日も(飲まない)平和に感謝。

 

記録:炭酸水1杯・ノンアル2缶

 

2018.10.16 断酒853日

2年前の記事はスリップの原因とされるHALTについて触れていますね。

H:空腹 A:怒り L:孤独 T:疲れ

刺激がないことから飲酒を求めることもあるのだなぁと分析していますが、おそらく平日の仕事の疲れも出ていますね。

HALTを意識して過ごすのも、再飲酒を避ける上では大切ですね。

どうであれ、『飲みたい自分がいる』、その意識をすぐに別の思考に切り替えられるように1日1日飲まない日を重ねて訓練していくしかないのですよね。

慣れると何かと飲みたいに繋がっていた回路が、いつのまにか切り替わっているんです。

疲れたな=飲みたい、ではなく、疲れたな=今日は早めに寝ようかなとか、ちょっとご褒美に美味しいもの食べようかなとかね。

なんて健全なのかしら!

そして最近は物足りなさを感じる日はあまりなく、むしろ時間がないくらいです。

育児に追われ、読みたい本、観たい動画、読みたいブログが山積み。とほほ。

2年経った今日も(飲まない)平和に感謝。

 

今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より

「安心それがわれわれのもっとも身近な敵である」

酒を志して断酒会に入会した当時は「酒を飲みたいと思いません」という人が多く、
断酒の意志が飲酒要求を上回っているのが歴然としているのですが1ヶ月たち、
半年、一年を過ぎる頃から、酒に手を出す人がボツボツ現れるのが現実なのです。
いくら這い上がろう、這い上がろうとしてもズルズルとぬかっていったあの酒害地獄の苦しさ、いまわしさも、断酒が安定してくるにつれて「のど元すぎれば熱さ忘れる」の例え通りに、人間の記憶から去っていくのです。
私たちは、酒を忘れることはあっても、酒ゆえの悪業を忘れてはいけないのです。
その忘れそうな初心をかき立てるために、私たちは断酒例会に出席するのです。
私たちは「もう何年断酒した」と考えてはいけないのであって、常に「まだ何年しかたっていない」と考えなければいけないのです。