断酒生活半年を迎えて 傷つきやすい自分を変えるには
2016.12.5 183日目 断酒半年
断酒生活半年を無事に迎えることができました。
率直な感想は、お酒をやめてから1日1日が濃く感じるようになったなぁということ。
実直に、愚直に今を生きていることを実感する毎日です。
お酒を飲みたいと思う気持ちはたまにふとやってくるけれど、
カウントゼロにしてでもとにかく飲んでしまいたい、
そう心底思ったことは、1日だけありました。
そこまで思いつめた原因は人間関係でした。
半年のなかで、実のところ、お酒よりも人間関係の悩みの方が大きなウェイトを占めていたことが浮き彫りに。
人とのやりとりでつまづいたら、半年前なら、間違いなく上手く人と付き合えない自分を責めていたと思います。
お酒をやめてもそう簡単に自分は変わらない。
自由に、伸びやかに。
ゆっくりと。
なりたい私を育てていきます。
2018.11.11 断酒879日目
断酒半年、半年も飲まない期間を経て、いかにお酒に逃げていたかを痛感しました。
879日経っても人付き合いは私の課題となっています。
ここに記されている「自分を責める」というのはいわゆる自罰であり、
自分を責めることで自分を傷つける行為です。
反対に、あの人が悪い、社会が悪いと対外的に責めるのを他罰といいます。
自罰も他罰も、生きにくい生き方と言えます。
どちらも問題解決に向けた思考ではないからです。
自分も相手も受け入れる生き方を見つけていきたいものです。
「傷つきやすい」自分がいるというのは幼少期より自覚していました。
傷つきやすい人は自罰傾向がとても強いです。
その解決策として
まずは「無理をやめる」「自分だけが辛い」という思考をまずはやめること。
それから、ついつい考えてしまう時間をなくすようにしたり、ちょっとした目標をこなしたり、自分なりのストレス解消法をみつけるなどしてみるとよいそうです。
断酒する2年前にはなかった繋がりが今はあります。
今夏辛い経験を経て、曖昧にしていた自分と決別したことで、豊かに生きている人との繋がりが増えました。
過去と他人は変えられませんが、自分と未来は変えられます。
少しずつ生きやすい処世術を取り入れ実践していきながら、
より良い人付き合い、豊かな生活。この先も
必ず私は手にして生きていると信じています。
今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より
「自分が酒害者でないと言い張っている人は、他人に酒害者だと指さされ、
自分を酒害者だと心から認めている人は、他人に酒害者だったとすら言われない」
酒害の初期は、単なる酒好きだと思われる程度で、他人はもちろん、本人ですら病識はない。
そして、酒害が進行して、回りのものが「酒害にかかったのでは?」と思う頃には、
本人は病識を拒絶するようになってしまう。
これがアルコール依存症の重大な特徴の一つである。
だから上司の説教でも家族の哀願も通用しない。
しかし、断酒会に入るとか、病院のお世話になるとかして、少しずつでも酒害の恐ろしさを勉強して、
何日かでもいいから断酒した頭で考えてみた時に「自分はやはり酒害者なんだなあ」と気付くようになるものです。
こうなればしめたもの、あと「一日断酒」を続けてさえいればいつしか
「あんたが酒害者だったの?」と不思議がられるようになるのです。