断酒5ヶ月目 充実感を体感していく時期
2016.11.15 断酒153日目
今日で断酒生活を始めて5ヶ月が経った。
朝起きてから慌ただしく出勤、就業時間を終えて、また電車に乗り込む。
保育園にお迎えに行き、自宅に着くと食事やお風呂、そして就寝。
平日のサイクル。
目まぐるしく、瞬く間に週末を迎える。
飲んでいた頃の私はいつも、いらついていた。
何にだろう。
大人になるにつれ、求めらるものに応えていかなければならない時が多くなった。
自分が何をしたいのか、どう生きたいのか分からずいつも不満ばかりだった。
お酒をやめてからは、お酒を飲んでいるときよりは不満は少なくなっていった。
これからの自分の可能性を信じていこう。
断酒5ヶ月目。
まだまだ続いて行く断酒生活。先は長い。
少しだけ自信をつけて、また新たな自分に出会えるように。
新しい決意もまたしていきたい。
飲まない今日1日を、重ねていく。
2018.10.28 断酒865日目
断酒5か月を迎えた日記からは、追われるように過ぎていく日常であっても、ほのかの充実感を抱いているのが見て取れる。
お酒を飲んでいた頃は、いつも何かにイラついていた。
満たされない何かを何かや誰かのせいにして、不満をつまみにお酒を飲んでいたのだろう。
求められるもの、は結局自分が分不相応な理想を自分に押し付けていたのだと思う。
そんな身勝手な自分自身から少しずつ等身大の自分の声に耳を澄ませていくことで、自分の本当にやりたいこと、知りたいこと、好きなことに触れることを許せるようになってきたのだと思う。
こんな私でも大切な私。
「本来の自分、これが私。」とわかって生きていくことが私の目指す回復であり、目指す生き方であると今ならよくわかる。
自分が分かるとどのように生きていきたいかも見えてくるようになる。
つまりは、不満を減らすには自己理解を深めていくことが大事なのだ。
自己理解を深めながら、飲まない一日を今日も重ねていく。
今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より
「断酒は自ら酒害者と認めることから始まる」
誰だって酒害者になるかも知れないと、心配しながら酒を飲みだす人はいません。
気が付いてみたら、酒害者になっていたというのが実状ではないでしょうか。
しかも、この病気は「自分が今、どんな状態にあるのか」という認識ができなくなり、ついには、自分の過去を忘れることは勿論、現在の日、時、場所すら判らなくなってしまう恐ろしい病気なのです。
即ち、飲み始めは勿論のこと、酒を飲めば飲むほど、自分は酒害者でないと言い張る一種の精神病になってしまうのです。
だから、周りの人が病気であることを認めさせてやらねばならない訳で、本人が何とか病識を得ることができたら、酒害の治療の半分は終わったと言われるくらい、大切なことなのです。
真に皮肉なことに、自分は酒害者ではないといって飲み続ける人は酒害者というレッテルをはられて一生送らねばならないのに対し、自ら酒害者と認め断酒に努力している人は、それが未だ医学的には酒害者かもしれないが、周りの人は「もと酒害者だった人」とすら言わなくなるのです。