当事者意識
2016.11.28 断酒166日目
6月から断酒を始めてもうすぐで半年になる。
始めた頃はとにかく飲まない事に注力していた。
一日飲まない。
その繰り返し。
飲みたいくらい辛いこともあったけれど、
とにかく、飲まない。飲んだらまた家族を悲しませてしまう。その一心で続けた。
100日を超えたあたりから、飲酒欲求はほぼ感じない生活になってきた。
かわりに、自分の精神性や感受性を高めていきたい思いや、お酒に何を求めていたのかが見えてきた。
そして、150日あたりから、自分は間違いなくアルコール依存症を抱えていたんだと
自覚するようになった。
当事者意識の自覚。
これが大きな変化だと思う。
自分がアルコール依存症だと認めることは勇気のいることだと思う。
また、断酒生活を続けられている人達の心労・苦労も心から讃えたいことでもある。
自分と向き合い、過去と向き合い、今を生きている。
どんな人でも過去でも、お酒を断ち、生きる目的を模索しながらの生活は讃えるに等しい事だ。
1人でも多くの人がアルコール依存からぬけだせますように。
飲まない一日を重ねることとで、誰かの希望に繋がれば、こんなに嬉しい事はない。
先をいく先輩たちの背中を見つめながら、感謝の思いが溢れてくる。
飲まない一日の濃さを私は166日見続けている。
それでも、まだまだ、ひよこに変わりはない。
今日も飲まない一日を重ねていく。
その繰り返しに、意味があると信じている。
2018年11月3日 断酒871日目
アルコール依存症は否認の病気ともいわれている。
認めたくない自分と周囲は病気だと分かっているその温度差はかなりのものだろう。
私も学生時代からお酒の飲み方への指摘はあっても変えることはできなかった。
半年近く飲まずにいると内面の変化が出始めるようだ。
その変化を見過ごさず、日常の些細なことにも落ち込む自分に負けないようにしていく方法を見つけていく。
そのためにはやはり仲間がいると心強い。
SNSでもブログでもAAでも断酒会でもいい。
人と繋がることで分かち合える。
分かち合うことでお酒をやめても人と健全に繋がっていける自信にもなる。
自分を恥じないでお酒をやめた自分を誇りに思って生きてほしい。
2年経った今でも一人でも多くの人が断酒を続けていけるようにと願っている。
今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より
「われわれには禁酒の冷たさや節酒のみみっちさはない、
そこには断酒という力強さと爽やかさがあるだけである」
この世の中から酒をなくして、他人の飲酒をも禁止したりすることを禁酒といいます。
自分の子供が自動車にひかれて死んだ悲しさのあまり、この世の中から自動車を無くせよと叫んでいるのに似て、
我がまま勝手な冷酷ささえ感じます。
節酒というのはほどほどに飲むとか、時々飲むとかいうのみ方で、これができれば禁酒だ、断酒だと騒ぐ必要はなくなります。
それ程この飲み方は難しく、アルコールのコントロールが出来なくなった酒害者にとっては至難の業と言わなくてはなりますまい。
それに対して断酒とは、自分の意志で酒を断つことを決め、実行することで酒との縁を切り、
普通の社会人として生活することをいいます。
そこには、力強さ、さわやかさ、幸福感が満ち溢れています。