おかげさまです。

断酒生活、おかげさまの気持ちを大事に生きています。

苦しい夜

2016.10.25 断酒132日目

 昨夜から苦しい。

動悸が常にしている。

気を張っていなければ涙が溢れてくる。

昨夜は幼少期の頃がまざまざと蘇った夜だった。

 

今朝寝不足の体を引きずって満員電車に乗り込んだ。

 何も感じぬまま一日が終わろうとしていた。

 ふと、「生きていればこそよ。」と声が聞こえたきがした。

 生きていればこそ、きっと、今日と違う明日に出会える。

 生きていればこそ。

  苦しい夜。一人ぼっちの夜。

それでもお酒は飲まなかった。

 

 

2018.10.18 断酒855日

2年前のこの日はとある人から一方的に理不尽な𠮟責をされた日でした。

息子が病気で入院をしていた日でもあり、主人もおらず、さんざんな状況でした。

実父もまた一方的に機嫌が悪いと怒鳴る人であるため、心の傷が開いたような感覚を受けたのを思い出しました。

今読み返してみると、こうした嫌な出来事に対して、いつもお酒に逃げて、可哀そうな被害者にどっぷり浸かって、本当の心のケアができていなかったと感じます。

断酒をしてアルコールがないことで、この痛みも生々しく感じ、ようやくしっかりとケアしていこうと向き合えたと思います。

今の自分なら、多少なら理不尽な叱責に物申せるようになってきています。

それは自分を大切に思えるようになった証でもあります。

ACの場合、心の耐性の形成がもろく、打たれ弱い人が多いと感じます。

打たれ弱い分、何かに逃避するために依存する傾向が強いです。

生きていればこそ、苦しいこともあります。

でも、幸せもまた必ず訪れる。

人生アップダウンの繰り返しなんだなと思います。

 132日目から写真の記録も始めました。

f:id:smile_color:20181018233226j:plain

 

今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より

「酒害にかかったことは何も恥かしいことではない、それから  立直ろうとしないことが恥かしいことなのだ」

アルコール依存症を治すために、入院したり、断酒会に入ったりすることを恥ずかしがる人が多いものだ
家族は勿論、世間一般の人々も、アルコール依存症患者を軽蔑する風潮は残念ながら無くなっていない
確かに、アルコール依存症になると、心が歪み人格が変容し、道徳心が低下して社会生活に乱れが生じ、周囲の人に迷惑をかけることは事実である。
それは、病気によって生ずる症状なのに、世間一般の人はそう理解してくれずに、その人の性格、人格の故だとするところに問題がある。
この病気は、特殊な性格の持ち主だけがなるというのではなく、酒を飲み続けていれば誰でもかかる病気なのだから、別にかかったことを恥ずかしがる必要は全くない。
恥ずかしいといって断酒会入会を拒んで飲んでいるほうが、本当は恥ずかしいことなのに、気が付かないところにこの病気の恐ろしさがある。