おかげさまです。

断酒生活、おかげさまの気持ちを大事に生きています。

断酒記録フォト②

2018.10.31 断酒868日目

断酒記録フォトをざざっとアップ。

断酒160日の頃はまだまだ自分のくら~い過去と対峙している頃でした。

とはいえ、それが大事なのですけれどね。

2018年の10月も今日で終わりですね。

季節もいよいよ晩秋へと移ろいで行く時期で私の好きな季節に入ってきました。

このブログで過去の自分と対話しているようで、セラピーワークをしている感覚でもあります。

2年前の自分に比べたら確かに成長を感じられるけれど、今は今でああでもない、こうでもないと自責の念に駆られたり、恥ずかしくなったり、悔やむことも多くあります。

だから2年後は今よりも成長している自分と、また新たな難問に唸っている自分がいるのだろうなと思うと、少し心が軽くなります。

過去を振り返ることで、私はいつだって、悩みながらも進むことができると知ることができたのですから。

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今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より

「格好よく断酒しようと思うな、うそのベールをぬぎ裸になろう」
断酒会に新しく入ってきた人のほとんどが自分を酒害者だと認めたがらない理由のひとつに、社会一般の酒害に対する誤解がある。
社会一般の人は、酒害者とは家もなく、職もなく、乞食同然の姿で、朝からベロベロに酔っている人のことで、
社会の敗残者と考えているようである。
だから、手が震えるようになっても頑迷に自分が酒害者であると認めたがらないし、家族もそう思わない。
入会と同時に「自分は酒害者です」と素直に認めた人でも、勤め先では「肝臓が悪い」「胃が悪い」とか言って、
なかなか酒害者であると言ってないようである。
中には、断酒会に入ったことを隠している人もいる。
断酒会に入ったことに何の恥ずかしさがあるのだろうか。
断酒するのにカッコのよさは却って邪魔である。
「身体が悪い」と言って逃れていても、四回、五回と言っていれば「もういいだろう」と回りの酒友が仲間に引き入れようとするもので、
カッコよく断酒しようとして、カッコの悪い失敗に陥ることが多いのである。