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見えない未来 息子の発達障害の発覚

2016.11.17 断酒155日目

前回の続き

息子の発達の違和感はいつから感じていただろう。

独り歩きが早かった。0歳8カ月で伝い歩き、0歳9ヶ月初日で歩いていた。

記号の暗記が早く、日本地図、ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳半でほぼ読めていた。数字も100まで数えていた。

言葉はいつもテレビや絵本のセリフを一方的に話しているだけ。

セリフを一話まるまる覚えてしまう。

これはセリフの意味を理解してはいなくて歌っている感覚なんだそう。

言っていることは理解しているようだが返ってくる言葉は単語。

会話のやりとりは難しかった。

食事は酷い偏食。食べられるものものはほとんどない。食べない事のほうが多い。

こだわりが強く、儀式化しがち。

でも、まぁ、これが我が子の成長なんだわ、と思うようにしていたし、

働きながらではどうしていいのかも考える知識も余裕もなかった。

どこかで認めたくない気持ちもあったのだと思う。

上記は全て発達障害の子の特徴に当てはまるものばかりだった。

 

保育園の先生に発達障害の疑いを言われて、何となくの疑問が、やっぱりという確信に近づいた。

思い立ったら即行動なところがある私は、言われたその日に発達支援センターに電話をした。

ドクターの診察は4カ月待ち。

それでは時間だけが過ぎてしまう、

なんとかしなければ。

 

区の保健センターに問い合わせて状況を伝え、面談の予約。

面談後、やはり発達の遅れを指摘され、自分が親として子供の成長をちゃんと

みてなかったからと自責の念に苦しむようになった。

それは今でも私を苦しめる。

発達障害は躾の問題ではなく、生まれながらのものと言われても、我が子を産んだのは私。

その後も、やりきれない時仕事の昼休みを使って保健センターに泣きながら電話をしたことがある。

折り返しの電話をくれた時もあり、お酒を飲みながら電話で話をした時もある。

この電話応対してくれた女性職員には、事あるごとにいつも相談役になってもらっている。孤独な育児。大変ありがたい存在。

それでも、苦しみは続く。

 

当時3歳半の息子の発達は1年の遅れがみられていた。

逆に4歳半の発達がみられるところもあり、まさに凸凹。

これをすこしでも平らにしていける支援を受けなければ。

当時通っていた保育園は小さなマンションの一角にあるいわゆる認可外保育園。

先生が発達障害の診断を受けてほしいと言うのには理由があり、

手のかかる子供だけかまってはいられない保育現場の限界と、

診断がおりると行政が発達障害の子に1人保育士をあててくれる加配保育が欲しかったことを知る。

 

12月の初旬に疑いを告知され、出来たことはドクターの予約だけ。

その間、息子はその園の先生からもっと頑張ろうよと言われ続けていた。

それが彼の心をますます苦しめていた。

 保育士は保育のプロであっても発達支援のプロではない。

発達支援は心理士とドクターと支援に長けた療育者が必要となる。

私も仕事に家事に、療育の方向性の不透明さに途方に暮れていた。

 

これ以上、何をどう頑張ればいいの??

私が何をしたと言うの??

先が全く見えなかった。

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2018.10.30 断酒867日目

見えない未来。すごいタイトルですね。

それぐらい目の前が真っ暗に感じたのでしょう。

お酒を飲みながら悲観にくれていた記憶があります。

正直今だって何も見えませんが、変わったのは私達親があまり深刻に考えないようになったことです。

息子の発達障害ついて当時の記録が残っていて、懐かしいと思いながらも、今読み返してやっぱり大変だったなぁと頑張っていた自分を褒めたいです。

診察してくれた先生から、発達障害児の育児は一人で10人の子供を育てているようなものだと言われたのをよく覚えています。

6歳になった今でも、育てにくさはありますが、療育や周りの理解や協力のおかげでいまでは彼の特徴を受け入れながら育児を楽しんでいます。

来年にはいよいよ小学生。

ゆっくりと彼のスピードでちゃんと成長しているから安心してねと当時の私に言ってあげたいです。

 

今日の山びこはお休みです。