ドライアルコホリック=酒を飲まない酒害者
2018年11月19日 断酒887日
私の断酒方法は断酒会やAAにはいかずに、個人で今のところやめることができています。
山びこはネットで知り、北海道断酒会から取り寄せました。
読み進めていると、なるほどと納得した箇所がありました。
それが以下の一文です。
独り断酒をしている人を見ていますと、意志強固ではありますが、未だ酒害者特有の歪んだ性格をそのまま残している方がおります。
即ち偏屈で、心がせまく、人間愛に欠け、わがまま、自己中心的であります。
断酒を継続している身として、個人的な感想はやはり誰かと断酒に関して語り合うことや、話すこと、またはこうしてブログに書きだすなどして自分を内省することが大切なのではないかと思います。
偏屈で心が狭く、人間愛に欠けわがまま、自己中心的。
経験上、どうして自分だけが、という思考のうちは何をしてもうまくはいかないものです。
自分の内面を整理でき、少しずつこのドライアルコホリックがなくなっていくように感じます。
心の変容をこれからも続けながら、広い豊かな心で生きていきたいです。
今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より
「酒を止めただけでもとへ戻るものではない、償いをしながら一生送るつもりでなければ、真の断酒はできない」
断酒会に入会して断酒できるようになると、いつの間にか断酒会を去る人がいるものです。
これらの人の殆んどが断酒に失敗してしまうのですが、中には一人で断酒を続けている人もおります。
この独り断酒をしている人を見ていますと、意志強固ではありますが、未だ酒害者特有の歪んだ性格をそのまま残している方がおります。
即ち偏屈で、心がせまく、人間愛に欠け、わがまま、自己中心的であります。
このような人をアメリカでは「ドライアルコホリック=酒を飲まない酒害者」と呼んでいます。
それに比べ、断酒会の例会に欠かさず出席している人達は、何ヶ月か過ぎた頃から、酒で苦しんでいる人々や、
その家族の相談相手となることが、
自分の罪の償いとなると考えて活動しているうちに、広い豊かな心が芽生え、友愛と奉仕の精神が全身から溢れ出るようになります。
こうなって始めて真の断酒ができているのだと思います。