おかげさまです。

断酒生活、おかげさまの気持ちを大事に生きています。

おかげさまです。

2018.12.8 断酒906日目

ブログ名をいろいろ変えて最終的に「おかげさまです。」に変更したのですが、

とても気に入っています。

おかげさまです。ってとてもいい言葉だなと改めて思います。

断酒が続いているのも、家族や仲間のおかげですし、

子供がすくすくと成長で来ているのも、保育園の先生の理解や協力があってのこと。

私が情けないことにつまずき苦しんでいるときも、心ある人たちの思いやりによって癒された日々があり、こうしてぐるりと見回すと、おかげさまですという気持ちになるのです。

 

この「おかげさま」、漢字では「お陰様」と書きますが、

陰とは本来、御霊であったり、見えないものを指します。

神様や仏様、ご先祖様、またはお世話になった方々の思いであったり、支えであったり、ねぎらいであったり、応援であったり。

見えない力によって、支えられていると感じる心。

「お蔭様で無事に合格しました。」

「お陰様で退院しました。」

「お陰様で家族一同元気です。」

忖度なんて言葉があるように、このお蔭様一つにとっても実に日本らしい言葉の語源だなぁと感じます。

感受性の強い国に住んでいるのだから、少々傷つきやすくて当然なのかも、なんて思ったりもしました。

 

お蔭様で断酒906日目となりました。

本当に、お蔭様です。

この気持ちで、これからも断酒を続けていこうと思います。

論語にはまる。

2018.12.5 断酒903日

 失敗は偉大なる師であるとは事実で、

痛い経験があって、初めて学びになる。

その学びをもって尊い言葉の意味が分かるようになったり、その通りだなと納得できるようになったりするのだなと感じました。

 

ここ最近の経験は私にどんな学びになるのだろう。

そう自分に問うた時、論語が目に留まり、読めば読むほど納得できることばかりが記されておりました。

自分に必要なのは『仁』だったのだなぁと。。

孔子が言う『仁』とは人と人との間にかよう親愛の情、心からの思いやりを意味し、人間が歩むべき「人の道」のことだそうです。思いやりの心を持ち、人と誠実に関り、慎みを忘れない生き方を仁としたそうです。

これからの人生において大切にしていきたいです。

 

以下は、私が好きな論語の一部です。書き足りないですが載せておきますね。

 

〇子(し)曰(のたま)わく、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すくな)し仁(じん)。

先生が言われた。「口ばかりうまく外見を飾る者には、ほとんど『仁』はないものだ。」

 

〇子曰わく、人の己れを知らざること患(うれ)えず、人を知らざることを患う。

先生が言われた。「自分をわかってもらえないと嘆くより、人を理解していないことをきにかけなさい」

 

〇子曰わく、君子は争う所なし。

先生が言われた。「君子(優れた人)と言われる人格者は、人と争うことはない」

 

〇子曰わく、賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

先生が言われた。「賢明な人を見れば同じようになろうと思い、賢明でない人を見れば、自分もそうではなかろうかと省みることだ」

 

〇子曰わく、「徳は孤ならず。必ず隣あり。」

先生が言われた。「徳のある人は孤立しない。必ず仲間ができる」

 

〇子曰わく、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」

先生が言われた。「君子は人と和らぎ協調するが、やたらとつるんだりしない。反対に、小人はよくつるむが、協調性はない」

 

〇子曰わく、「衆、これを悪(にく)むは、必ずこれを察し、衆、これを好むも、必ずこれを察す。」

先生が言われた。「世の多くの人が悪く言うときも必ず自分で調べ考える、また、世の多くの人が良く言うときも必ず自分で調べ考える」

 

そして先日西郷どんで言っていたセリフと同じようなものも見つけたので載せておきます。

〇子曰わく、「過ちて改めざる、是を過ちという。」

先生が言われた。「過ちをしても改めない、これを本当の過ちという。」

 

孔子、とても深いです。

これからも折々に読んで人生の教科書にしていきたいと思います。

 

最近心に響いた言葉から、自分の答えを知る

2018.12.4 断酒902日目

皆さんは最近、心に響いた景色や動画、言葉、音楽はありますか?

それはどんなものでしたか?

 

人は見たいように見て、聞きたいように聞く生き物だそうです。

 

私は西郷どんの録画を視聴していたら、

西郷隆盛木戸孝允に言った言葉がとても印象的でした。

 

シーンは西郷が新政府を去ると決め、木戸孝允が自宅を訪れたときのこと。

長州出身の木戸孝允は同じ長州出身の新政府員が汚職にまみれたことを嘆き、ましてや自分は欧米と結んだ不平等条約を撤廃できずにたいした成果もなく帰国したこともあり、自分もその責任を取らなければならないといった際に、西郷隆盛が言った言葉がこっちらです。

 

「人は皆過ちを犯すもんじゃ

じゃっとん、そん過ちを認め

どう明日へ向かうか

そいでそん人の器量がわかるっちゅうもんじゃ」

 

どう明日へ向かうか。

過ちだけでなく、失敗や挫折、病気にも言えることでしょう。

「この失敗は私にとってどんな学びになるだろう。」

「この過ちから何を学ぶことができるだろう。」

「この病は私に何を教えようとしているのだろう。」

 

自分自身に問いかけてみると、その答えとなるようなメッセージが訪れるかもしれません。

もし最近心に響いた言葉やシーンがあれば、それは潜在意識が求めていたことなのでしょう。

 

私も西郷隆盛のセリフがとても響きました。

私自身のことでいうと、マタハラのことも、市民活動のいざこざも、これもまた経験であり、学びでした。

このセリフを聞いて、足りなかったのは自己信頼感や、また一方向だけの情報を過信して、周りに対しても思いやる心が欠けていた、と気づくことができました。

改めて自分自身だけでなく、周りの人も豊かになれるような関わり方を徹底して学んでいくと心に決めました。

 

今、悩みの渦中にいる人は、ぜひ、自分に問いかけてみるといいかもしれません。

何かしらのヒントが訪れるかも知れません(^^♪

 

より良い明日を築いていけるよう、これからもいろんな角度から物事が見れるようにしていこうと思います。

 

今日の山びこ

「我々にとってもっとも大切に考えなければならないことは
何故酒害者になったかということではなく、酒害になってどうしたかということである 」


酒害者の多くが考えることは
「何故オレはこんなみじめな酒害者になったんだろう」ということであり、
「友達が悪かった」
「家内が悪妻だった」云々と行き着くところは外罰的で、自己批判は全く出てこない。
本当の原因は「自分が酒を飲みすぎた」ことであって周りの人に原因があるわけがない。
それどころか、周りの人々に多大の心配や迷惑をかけてきたことに全く気が付かないのだから困った病気である。
こんなことではいくら考えたって酒害から立ち直ることはできない。
酒害者の考え方のもっとも大切なことは
 ・酒害者になって周りの人に何をしてきたか(反省)
 ・酒害者だとわかってから何をしてきたか(償い)
ということであり、これが「断酒道」につながる唯一の道なのです。

 

ピア(仲間)の力

2018.12.3 断酒901日目

 12月に入りましたね。

 私は少し風邪をこじらせてしまいました。

ビタミン取って悪化しないようにしたいです。

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皆さんも風邪にはご注意くださいね。

さて、先日、言いっぱなし聞きっぱなしピア会に参加してきました。

 

自分の中で消化しきれない想いを他者に聴いてもらうことで、心と脳はだいぶ整理されます。

また、聴き手も重要で、聴く姿勢となっている人に聴いてもらうのと、全く興味なさげにしかも迷惑そうに聞いてもらうのでは、全然違うのはお判りでしょう。

また言いっぱなし聞きっぱなしがルールなので、そこにはジャッジも意見も、ましてやボディランゲージ(相槌、うなづき)すらもNGです。

静かに心を耳を傾けて話を聴いていきます。

心に遠慮なく、思う事を自由に吐き出す場というのは貴重ですね。

自治体で心のケアとして自助グループでピア会を開いているところもあるようですので、参加してみたい方はネットなどで検索すると出てくるかもしれません。

 

このピア(仲間)カウンセリングのいいところは、

・ピア会で話したことは口外してはいけないルールなので、安全で守られた場で話せること

  1. 同じように傷を経験した人が集うので経験や感情をわかってもらえる
  2. 同じ経験をした仲間がいることの実感
  3. 他の人の話を聴くことにより、自分がまだ語っていない部分に気づく
  4. つながりを感じる
  5. 他の人の選択を参考にする

 

私は今回話してきたことで、2番を感じました。

落ち込みやすいひとの特徴として、

「自分だけが不幸だ」と思いやすい傾向があります。

その傾向の改善案として「自分だけではない」と気持ちを切り替えることが大切なのですが、そうはいっても、分かっていてもなかなか切り替えられない人もいると思います。

ピアの会には様々なトラウマや傷を抱えた人がいるので、自分だけではないと思えるのです。

自分の方がまし、という比較の為ではなく、同じように人はだれしも大なり小なり傷はあるものなのだなと知ることで自分だけが不幸という認知を書き換えることができます。

そしてこれは4番にもつながり、孤独ではなく繋がりを感じることで心の安心にもなります。

 

なにより、語ることそのものがカタルシス効果がありますし、

語ることで自分を客観視できることもできます。

 

私は今回語ることで、「こんなに大変なことがあっても、ちゃんと生活していけてる自分すごい!」と会の終わりに思えたのでとても実のある会になりました。

 

実はこれって、私が年に数回参加している断酒オフ会でも言えることなのです。

ピアの力、侮れません。

お酒で失敗して痛い経験をお持ちの方々だからこそ、お互いの気持ちや背景が理解できますし、また互いに知識を得ることもできます。

もちろん、孤独ではなくなります。

 

もちろん、個別カウンセリングが合う人もいれば、こうして数人の話を聴いて分かち合うことが合っていると思う人もいるので個人にあったものを選ぶことをお勧めします。

 

気持ちを吐き出すことで、思考がだいぶ軽くなりました。

軽くなった心で今月は様々なことに取り組んでいこうと思います。

900日

2018/12/02  断酒900日

 

早いもので断酒900日目を迎えました。

始めた頃はこの日数カウントが増えていくのが嬉しくて、唯一の励みでしたね。

1週間、1ヶ月、ゾロ目の日、100日、そのたんびにやったーやったー\(^^)/と喜んでました。

 

200日あたりから断酒ブログで、繋がりができて、オフ会で知り合った仲間と年に数回連絡を取り合っていますが、主催者の人徳なのでしょう、

類は友を呼ぶというように皆さんとても穏やかで話しやすい人ばかりです。

会うと毎回あっという間に時間が過ぎてしまいます。

今日もオフ会がありますが、大所帯が苦手なのと、今夏個人的にあった辛い経験がまだ癒えてないのもあり、今回は欠席にしました。

次は元気に参加しようと思います。

 

このブログも今夏の辛い経験を癒すことが目的で始めたのですが、

だいぶ癒えてきています。

酒害ではないけど、お酒を飲まなくても辛いことはあるもので、

お酒を飲まなくても、傷は癒えてくるものなのです。

 

自分を振り返ることが出来てきたのでこのブログの開設当初の目的は果たせたのですが、せっかくですので続けようと思います。

びっくりするほど、誰も読んでないブログなんですが、書く度に傷が癒えるので、このブログを大切にしていこうかなと思います。

ついでにブログタイトルも変えました。

ご縁があって読んでくださった方、ありがとうございます。

1000日目も、2000日目も書き続けられたらいいな。

私だってありえたことだった

2018.12.1 断酒899日目

 

吉澤ひとみさんのニュースを見て、過去の自分も良くキッチンで飲みながら家事を

していたことを思い出した。

朝起きて息子を保育園に送り、満員電車に乗り込み、夕方まで働き、

追われるように会社を飛び出して、また満員電車に乗り込み、駆け足で保育園にお迎えに行く。

自宅に帰って今度は家事、育児、自分の時間なんてみじんもなくて

そのまま就寝。朝を迎えて…

 

キッチンで飲みながら家事をこなすことが日常で、それが楽しみだった。

でも、楽しみも度が過ぎれば何でも支障をきたす。

  

吉澤ひとみさんの記事を読んで、私もやめてなければこうなっていたんだと

つくづく思った。

そして、彼女はまだ完全に断酒してはいないとのことだ。

ここまでしてもなおやめられないのかと驚いたが、それが酒の恐ろしいところなのだとも思う。

でも、お酒をやめることを本当に勧めたい。

子供のためにも。

安心なママであってほしい。

 

お酒を飲まなくても家事育児はこなせる。

お酒に呑まれてしまった私達は、飲まない方がより人生が豊かになる。

 

 

マインドフルネス 今ここを丁寧に生きる方法

2018/11/29  断酒897日

 

先日、マインドリセット方法を学びに行きました。

 

体が疲れるように、脳も疲れるのだそう。

脳は寝ている間もアイドリング状態で活動しているそうです。

脳が疲れる原因は、雑念からくるものだと知りました。

 

答えの出ない悩みを延々と悩み続ける私の脳内は雑念だらけです。

雑念だらけなので、いつも楽しめない。

脳も疲弊してるし

心ここに在らず、です。

 

心ここにないの。

 

悩みに心持っていかれてしまって。

 

ないのよ。

 

味気ないごはん

上の空の会話みたいになって

 

これって

 

すごく

 

今生きている自分に失礼じゃない?

 

ってふと思ったのです。

 

雑念を取り払い、今ここにあるものに集中する。

 

例えば、めちゃくちゃ簡単な、やり方だと、

 

夜空の月を見る、星を見る

 

綺麗な月があるなあと思う

綺麗な星があるなぁと思う

 

遠くを見ることで意識を外に向ける

 

散歩をするときも、景色をみて紅葉が綺麗だなぁとか、鳥のさえずりに耳を澄まして、鳥が鳴いてるなとか、中継のうな感じで

 

ポイントは意識を外に向けること。

 

内側に向けると過去や未来への不安や心配や、自己解釈に囚われて今を見ようとしなくなってしまう

 

今ここに焦点を当てて目の前にあるものを、あるということを見ていくだけでいい。

 

それだけで脳はリラックスし始める。

 

リラックスすると、心が戻って来るように感じる。

 

あくまで私の感想だけれど。

 

心が戻ってきたら、やる気が出て来る。

 

沢山の不安や心配も抱えずに済む。

 

深呼吸して。

 

リラックス。

 

いい学びを得られて、本当に嬉しい。

 

これからは、今生きている自分に失礼のない生き方をしていきたい。

 

あなたもいかがですか?

 

これで良し!で生きていこう

2018/11/28   断酒896日目

最近、ふとお酒飲んでみたいなあなんて頭をよぎりました。

 

これなんですよね。断酒の落とし穴。

 

油断。

 

ぜんぜん前触れなくやってくる飲酒欲求。

しかも軽めで、何となくっていうやつ。

 

飲めるわけないって、なんでわからんの?バカァッ!!(。´>д<)シ彡☆

 

何となくが命取りって、なんでわからんの?( ゜д ゜)ナンデヤ…

 

不思議なもんです。

 

飲んだら地獄行きしかないのに、ちょっとでも飲んでみたいなんて思ってしまうあたり、まだまだ学習力が足りてませんね。

 

896日経ってもこれかいな。

 

怖:(´◦ω◦`):プルプル

 

飲みたいのに飲めないなんて悲しい、悔しい、という思考回路にはなりませんが、

 

あれだけの事があったのに、まだ飲めると思う自分がいるという愚かさたるや。

 

でも、飲まない自分がいるという素敵な私ᐠ( ᐛ )ᐟᐠ( ᐖ )ᐟを褒めるのさ。

 

飲みたいと思ったけど、

飲まなかった私、最高。

 

日々これで良し(。˃ ᵕ ˂ )ƅ

お酒やめましたって言える遠藤憲一さん素敵です

2018/11/26  断酒894日目

 

サワコの朝を観ていたら、遠藤憲一さんがゲストでした。

Yahooで遠藤憲一が断酒したのを知っていたので、そのまま見続けていたら、

ラスト5分くらいで、

お酒やめたの?ときかれ、

サラッと

やめました。はしゃぎすぎちゃった、といった遠藤憲一さん。

なんとも!

潔い!

爽やかー。

(*´-`)ウンウンこんなふうにいえばいいのさ。

最高。

ますます好感度アップです。

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飲めないことは恥ずかしい?

2016.12.23 断酒191日

友人宅にお呼ばれ。穏やかで、柔らかくて、大切な友人。

 いつ会っても魅力的。変わらない自然な風が吹いていて、心地よかった。

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12月にしては暖かい日で河原でごろんと横になってもちっとも寒くなかった。

見上げた空が澄んでいて気持ちが良かった。

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シラフでよかった。心底思う。

子供たちの可愛らしい笑顔も、

弾くような笑い声も、

眩しい太陽も、

流れる雲も、

季節外れの柔らかい風も、

すべてこの身で受け止められた。

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お酒のなかったクリスマスパーティ。

また会いに行こう。ありがとう。

 

2018.11.21 断酒889日

友人と食事をするときや会社での飲み会でお酒を断る理由に毎回困っていました。

学生時代から大酒飲み、酒豪として知られていた自分が飲まないなんて恥ずかしいことだと思っていました。

2年前のクリスマスパーティーで飲まずに済んだのは、昼間で子供たちも小さいし

アルコールを飲むような会ではなかったからでした。

飲まないことで、子供たちの弾けるような笑い声も笑顔も未だに記憶に残っています。

子供が幼いうちにお酒をやめられて本当に良かったと思っています。

30代前半でアルコホリック発覚だなんてなんとも悲しいことですが、

残りの人生を思えば、むしろ飲まない人生に切り替えられたのは好機でした。

断れない自分がいたのは、お酒が飲めないことは恥ずかしいことだという思い込みからでした。

明らかに歪んだ認知からくる誤認です。

もともと飲めない人だって世の中には大勢いますし、お酒を断ることが失礼にあたることもまた本来はないわけです。

勧められて断るのは確かに気が引けますが、勧められたから飲んでいては命がいくつあっても足りません。

勧めてきた人に命の保証をしてもらえるわけもないのですから。

「すみません、実は健康のためお酒をやめたんです。お気持ちだけいただきます。」

と笑顔で答えて

「ところで、~」と明るく話題を変えるくらいでいいのだと今なら思います。

飲めないことは恥ずかしいこととは今では思いません。

もう一生分のみましたからね。

歪んだ認知を見つけては書き換えていく作業は楽ではないですが、

定着したとき、生きづらさから解放されているのを感じます。

それは、ありのままの自分に近づいてる確かな手ごたえなのだと思います。

好きで飲んでいたようで、飲めることで自分を誇示していたように思います。

それは偽りの自分を演じていたのだと思うのです。

強いお酒を何杯も飲めてすごい、こんなくだらない評価にさえ喜んでしまう自分がいたのです。

承認賞賛を求めていた自分がそこにいたのでしょう。

偽りの自分を一つでも多く減らして、本当の自分として生きていく道が健全で生きやすい生き方と言えます。

飲まない自分がいる。

それを伝えられるようになれた自分の方が、ずっとずっとカッコイイ生き方です。

飲まずに過ごす一日一日が地を固め、生きていくうえで安心して進める道となるのだと思います。

 

今日の山びこ 断酒寸言集「山びこ」より

「酒害にかかったことは何も恥かしいことではない、それから  立直ろうとしないことが恥かしいことなのだ」

アルコール依存症を治すために、入院したり、断酒会に入ったりすることを恥ずかしがる人が多いものだ
家族は勿論、世間一般の人々も、アルコール依存症患者を軽蔑する風潮は残念ながら無くなっていない
確かに、アルコール依存症になると、心が歪み人格が変容し、道徳心が低下して社会生活に乱れが生じ、
周囲の人に迷惑をかけることは事実である。
それは、病気によって生ずる症状なのに、世間一般の人はそう理解してくれずに、その人の性格、人格の故だとするところに問題がある。
この病気は、特殊な性格の持ち主だけがなるというのではなく、酒を飲み続けていれば誰でもかかる病気なのだから、
別にかかったことを恥ずかしがる必要は全くない。
恥ずかしいといって断酒会入会を拒んで飲んでいるほうが、本当は恥ずかしいことなのに、
気が付かないところにこの病気の恐ろしさがある。